闇の王 -The Dark Lord-
其は闇 暗闇の支配者
其は悪意 あらゆる物を越えた邪悪
其は狂気 殺戮のための殺戮
其は怒り あらゆる生物への憎しみ
Section0.狂気の焔 Top Before Next
「姉さん…!!」
「う…あぁ…ああぁぁ……」
少年の悲鳴と、少女のうめきと。それらを激しい音と熱がさえぎる。その場はまさに炎熱地獄と言っても過言ではない様相を呈していた。密閉された空間でこのような炎を燃やせば人間は焼死の前に酸素不足で死にかねない。事実、少女の顔色と足どりは、軽い酸欠の相を呈していた。少年は――炎の向こう側にいるのか、姿が見えない。
「助けて、助けてよおおっ」
「ひぃぅ…」
その悲痛な声から逃れるように少女が耳を塞ぎ激しく首を横に振る。見たくない、聞きたくない、ここに居たくない――
爆音。それと、何かがひしゃげて潰れる音と一際大きい悲鳴がその場に響き渡った。その音は、筋肉と骨が何か凄まじい力によって押しつぶされ、神経が引きちぎられ、完膚なきまでに、肉体が粉々に砕かれる音だった。
「ひぎゃあああああっ!!?」
叫びすぎ――あるいは負傷によって呼吸器を痛めたのか、かすれ、なお切に助けを求める声から逃れるように、少女は耳を塞いだまま、後方へと走り出した。よろめき、何度も転んだが、少しでも遠く。少しでもあの化け物から、この恐怖から――
「ねえさぁぁんんんんん……」
「う…あ…あああぁぁぁ……っっ!!」
少女は完全に耳を塞ぎながら手にしていた剣を取り落とし、半狂乱でその場から走り逃げていった。少年の声はそれには気がつかなかったのだろう、右手と左足を無残に引きちぎられ、押し潰されて失い、身体の半分以上を火傷で覆われながら――常人であればその場でショック死しかねないその状況でなお、その生命活動が完全に停止するまで助けを求め続けた――
「ねえさぁぁん――――」
「う…あぁ…ああぁぁ……」
少年の悲鳴と、少女のうめきと。それらを激しい音と熱がさえぎる。その場はまさに炎熱地獄と言っても過言ではない様相を呈していた。密閉された空間でこのような炎を燃やせば人間は焼死の前に酸素不足で死にかねない。事実、少女の顔色と足どりは、軽い酸欠の相を呈していた。少年は――炎の向こう側にいるのか、姿が見えない。
「助けて、助けてよおおっ」
「ひぃぅ…」
その悲痛な声から逃れるように少女が耳を塞ぎ激しく首を横に振る。見たくない、聞きたくない、ここに居たくない――
爆音。それと、何かがひしゃげて潰れる音と一際大きい悲鳴がその場に響き渡った。その音は、筋肉と骨が何か凄まじい力によって押しつぶされ、神経が引きちぎられ、完膚なきまでに肉体が粉々に砕かれる音だった。
「ひぎゃあああああっ!!?」
叫びすぎ――あるいは負傷によって呼吸器を痛めたのか、かすれ、なお切に助けを求める声から逃れるように、少女は耳を塞いだまま、後方へと走り出した。よろめき、何度も転んだが、少しでも遠く。少しでもあの化け物から、この恐怖から――
「ねえさぁぁんんんんん……」
「う…あ…あああぁぁぁ……っっ!!」
少女は完全に耳を塞ぎながら手にしていた剣を取り落とし、半狂乱でその場から走り逃げていった。少年の声はそれには気がつかなかったのだろう、右手と左足を無残に引きちぎられ、押し潰されて失い、身体の半分以上を火傷で覆われながら――常人であればその場でショック死しかねないその状況でなお、その生命活動が完全に停止するまで助けを求め続けた――
「ねえさぁぁん――――」
Section1.グラストヘイム Top Before Next
グラストヘイム古城――いつそれが建造されたのか、何の目的でこの巨大な城塞が作られたのか。それを正確に伝えるものは何もなく、その圧倒的な質量感を持つ建造物はゲフェンの北西に存在した。
一説によれば、千年前の大戦の折りに魔族が建立した城塞だという。成る程、その威容はそのような話が生まれるに相応しいほどの年月と、不気味さを持っていた。
この地のことを少し詳しく知っていて、かつ分別のある大人ならばこの地には決して近づかないだろう。明らかに野生の魔とは違う、異形の、そして強力な魔物が蠢いているのだ。また、城の周囲にも極めて危険な生物とされる竜の一種が生息している。
それでも――あえて危険な地に赴こうとする者達はいる。彼等が求めるのは、富か、名声か、あるいは――死に場所なのか――
「……」
一人の剣を携えた女性がグラストヘイムの地にいた。彼女は城の外にひしめく竜などはものともしない、圧倒的な――ある種非人間的ですらある強さで敷地内のある建物の前まで到達していた。
グラストヘイムには城壁内に二つの巨大な建物が存在する。一つはこの施設全体の中心であったであろう巨大な城。そしてもう一つはその城に匹敵しかねないほどの大きさをもつ教会らしき建物。共に建立当時は荘厳な威厳を保っていたのであろうが、今は大部分が朽ち、崩れ、その不気味さを強調していた。
女性は、その教会らしき建物の前で膝をつき、剣を前に差し出し、まるで祈るかのような姿勢で言葉を紡いだ。
「クレイ…懺悔しよう、5年前のことを、そしてこれから償うよ、私の罪を…」
そう呟くと女性は剣を抜き身のまま掲げた。彼女の鎧と盾には十字架の刻印がなされており、首からも十字印――ロザリオを下げていた。十字騎士――教会の洗礼を受けた高潔かつ力ある者だけに許される称号。それが彼女の持つ肩書きだった。
彼女の名はノーラ=レグナス。それが青みのかかった黒髪は長くのばされ、その凛々しく整った顔を彩っていた。若くして十字騎士に任命されるだけのことはある――そう感じさせる顔であった。
「『あれ』を私は今度こそ倒す」
力強くそう呟く。『あれ』とは何か。彼女はそのあまりにも人を超えた力でいったい何に対して挑もうというのか。
「…これは、私にはもういらぬものだな…」
呟くと彼女は自分の首にかけられたロザリオを外し、それを地面へと置いた。ロザリオ――十字は十字騎士の象徴ともいうべきもの――それを自ら捨てるということは――
それ以上は語らぬまま、彼女は抜き身の刃を携えたまま、その建物内へと入っていった――
Section2.姉妹 Top Before Next
――その姉弟は、将来を嘱望されていた。共に幼くしての天才。姉はプロンテラ騎士団において大人の騎士達でも敵う者がいないほどの剣の使い手。弟は魔術都市ゲフェンにおいて年上の術士達をたやすく追い越し、主席導師の一人として名を連ねることを許されたほどの魔術の使い手。
だが――そんな二人に、悲劇は訪れた。
「――私達が調査団の護衛、ですか?」
少女は自分よりも年上の男性に向かって、臆することなくそう尋ねた。対して、尋ねられた男性は畏まった姿勢で彼女に相対していた。
そこは少女の自室であった。それなりに品のいい調度品などが揃っているのだが、壁に剣が立てかけられているなど、普通の少女の部屋であったなら似つかわしくないようなものもいくつか見受けられる。
「はい、グラストヘイム第二次調査団の護衛として貴方達二人も同行するように、とのことです」
男性が齢十六程度の少女に対して敬語を使うのにはわけがあった。つまるところ、少女より、この男のほうが階級が低いのだ。ノーラ=レグナス――この時、十六歳にしてすでにプロンテラ騎士団の上級騎士であり師団長相当の権限を与えられていた。
「私達である必要もないと思いますが…断る理由もありませんね」
――グラストヘイム調査団。その成り立ちすら定かでない巨大建造物群グラストヘイムを調査研究するために作られたチームである。第一次調査団はグラストヘイム城壁内の主な建物の配置などを調査して帰ってきた。そして――第二次調査団とはグラストヘイム内部の調査を本格的に開始するためのチームであった。
無論、研究者の集まりなので基本的に戦闘能力はあまりない。そこで、腕の立つ人間を護衛につけるのだ。自分達であるべき理由はないが、自分達ではいけない理由もない、少女はそう考えた。
「…わかりました、クレイにもその話はすでに?」
「はっ、クレイ導師はグラストヘイムへ調査団が向かう途中、ゲフェンにて合流する予定であります」
「わかりました、伝令ご苦労さまです」
ノーラがそう伝令兵の労をねぎらうと、男は敬礼をしてから去っていった。残されたノーラは壁に立てかけられていた剣を見つめながら久しぶりに会う弟との再会に想いを馳せていた。
「ねえさんっ、久しぶりだね」
ゲフェンについた調査団とノーラを迎えたゲフェン主席導師のクレイは朗らかな笑みを浮かべながら歓迎の意を示した。主席導師などという肩書きがあるが、その見た目は普通に純朴そうな少年だ。姉と同じ青みのかかった黒髪は耳にかからない程度で切られており、顔立ちは優しそうな印象を人に与える。対するノーラも――これは珍しいことだが――相好を崩し、穏やかな笑みを浮かべてその主席導師たる弟へと声をかけていた。
「ほんとに久しぶりね、一年ぶりかな?」
「うん、確かにそのくらいだよ」
「ちょっと背が伸びたかな?でもこの年頃の男の子にしてはちょっと背低いかもね」
ノーラがクレイの頭をぽんぽんと叩きながら言った言葉にクレイは不服そうな顔をして反論した。
「ちゃんと伸びてるよ。僕はこれからが成長期なんだ」
「そっか、それならいいけどね」
――ごくごく普通の、仲の良い姉弟の会話。知らないものが見れば、これがルーンミドガツ王国の誇る天才姉弟だとは夢にも思うまい。しばしの再会を楽しんだ後、ノーラは調査団へと振り返った。その表情に先ほどまでのごく普通の少女としての顔はなく、プロンテラ騎士団に所属する上級騎士としての顔であった。
「本隊はこのゲフェンで一晩休んだ後グラストヘイムへ向かいます。各自ゆっくり身体を休め、明日に備えてください」
そう告げた彼女が弟を振り返ると、そこにはまたごく普通の少女の顔があった。その切り替えはあまりにも自然で、彼女自身すら気がついてもいないことであったかもしれないが――
(姉さん――やっぱり無理してるな――)
クレイはふと思う。それは、以前共に生活していた時にも感じていたことであったが、今より強くそれを感じたこと想いだった。
(もう少し楽にすればいいのに)
彼女は、幼いころからなんでもできた。卓越した身体能力、優れた頭脳。魔法を扱うような才にこそ恵まれなかったものの、それ以外のことならほとんどなんでもできた。そんな彼女は自然と話題の中心、グループの中心となっていった。
そして――彼女は周囲の期待にこたえようと、天才児であるように、自ら振舞った。落ち着いた物腰、理知的な言動、そして一般騎士程度では歯の立たぬ剣技。プロンテラきっての才媛と呼ばれ、それに見合うだけの行動を彼女はしてきた。
だが、それは彼女の本当の姿ではない。少なくともクレイはそう思っていた。彼と共にいる時だけは、彼女の表情が和らぐのだ。ごく普通の、ありふれた少女の顔に。そして、それが彼女の本当の顔なのだと、クレイは直感で悟っていた。
自分で自分を優等生であるようにするために、本当の自分を押し殺し、仮面をつけて生きている。そんな印象をクレイは彼女に持った。
(だけど……それは僕も同じことかもしれないね)
人は多かれ少なかれ、仮面をつけて生きる。完全に自分の全てをさらけだして生きれる人間はそうはいない。仮面という他者から見た共通認識を着ることによって自分を定義し、他者へそれを見せる。人前に裸で居て恥ずかしくない人間はそうはいまい。それと同じことだ。その傾向が、彼女達のような人間の場合、多いだけだ。
(ま、その仮面が上手く機能してるならそれはそれで、いいんだけどね)
問題はその仮面が外れた時だ。その時人はどのような行動を取るのか――
「クレイ」
「あ、うん」
少年の思考は姉の一言によって中断された。それを疎ましくは思わない。むしろ感謝しているくらいだ。彼は常に物事を深く考えすぎる傾向がある。最も――それゆえに、主席導師の中に名を連ねるほどの者になったのではあるが。
「明朝、ゲフェンからグラストヘイムに向けて出発。準備を怠らないでね」
「うん、わかってる」
彼は簡潔に返事をしてから、軽く呟いた。
「ま…、たいして気にすることでもないか」
姉なら大丈夫だ。そう、少年は強く思っていた…
Section3.古の修道院 Top Before Next
「我此処に其を誘うものなり、此処に降り注ぎしは永遠なる氷結、絶対なる静寂、悠久なる死、すべからく凍りつき、その全てを無に還す……<ストーム・ガスト>」
少年の高らかな詠唱と共に周囲に強烈な吹雪が荒れ狂う。その吹雪に巻き込まれたおぼろげな姿をした馬や異様に巨大化した天道虫が一瞬で氷の彫像と化す。
「――散れ」
完全なまでに凍結された肉体組織は元には戻らない。その時点で生命としての存在は終わり、単なる物体と化す。仮にそれが溶けたとしても正常な生命活動は取り戻せまい。
そして――
パキイィィィンン………
氷のオブジェと化していたそれらの化け物は、細かな砕片となって床へと散っていった。
「さすが…」
調査団の一人が感嘆の声をあげる。<ストーム・ガスト>――極めて高度な殲滅魔法であり、その詠唱には膨大な意思力と時間が必要になる。だが――少年はごく短時間で、焦ることなくその高難度魔法の発動プロセスを完遂してみせたのだ。
「ナイトメアにブリライト…」
涼風の中から、抜き身の剣を携えた少女が呟きながらでてくる。あの魔法は敵のみを選択的に攻撃し、最初に設定した味方には涼しい風程度の影響しか及ぼさない。それゆえに混戦時でも使用可能な利点がある。
少女は魔物の中に一人切り込み、少年の詠唱時間を稼いでいたのだ。単なる無差別範囲魔法であったならこうはいかない。もっとも、選択式範囲魔法であってもその有効圏内に入るのを普通人間は躊躇うものだが、彼女はそれに躊躇することなく詠唱時間を稼ぐため、抜き身の剣を構えて魔物へと向かっていったのだ。
「想像以上に危険な魔物が生息していたみたいですね」
少女――ノーラが周囲を引き続き警戒しながら呟く。彼女等は今、グラストヘイムに存在する建造物のうちの一つに入っていた。そこはかつて修道院だったのだろうか、いくつもの部屋や、祭壇などがある。先の第一次調査のさい、グラストヘイムには特に巨大な建造物が二つ確認されている。そのうちの一つが今彼等のいる場所だった。だが――
「しかし…この有様はいったい…」
調査団の一人がうめく。机や、椅子などの大きさからして、ここは明らかに人間の為に作られた施設だ。それを考えると、やはりここは人によって建造された施設ということになるのだが…
「いったい何がここで起こったというのだ…」
その建物の中は――最早、人間の常識の範囲では推し量れないものとなっていた。床がねじれ、陥没し、昏い闇を見せている。床は隆起している場所もあればごっそりと消滅している場所もある。建造物を支える柱はゆがみ、あるいは折れ、その機能を失っているものが多くなっていた。
少なくとも――普通の破壊や、年月で、このような状況になることは、まずありえない。歪んだ精神構造の人間の脳裏に描かれた心象風景をそのまま具現化したような奇怪さがこの建造物の内部にはあった。
「過去にここで何かがあったのか…」
「しかし、これほどの状態を引き起こす『何か』とは?」
「それを調査するのが我々の仕事だろう」
調査団の緊張が少女と少年にも伝わってくる。自分達の理解を超えたものに対して挑むことはその人間に途方もない労力と緊張を強いる。
「む…」
調査団の一人が何かを見つけたのか、全員を手招きする。
「これは…」
「地下に続く階段だ…」
底冷えするような闇へと続く階段がそこにはあった。やはりそれも随所で歪んでおり、危険そうではあったが、少なくとも見えている範囲では降りていくことに関して支障はなさそうに見えた。
「降りてみますか?」
ノーラが少し降りて、特に崩落の危険などがないことを確認してから後ろの調査団を振り返って問い掛ける。その問いに、調査団の面々は緊張した様子で頷いた。
――闇に対する恐怖。無論明かりをつけてはいるのだが、それでも周囲の闇への恐怖が払拭されるわけではない。ましてや地面のさらに下にある闇へと向かうというのは否応なしに恐怖を与える。
「私が先頭、クレイが最後尾にて護衛します。足元に注意してください」
「…分かった」
Section4.悲劇 Top Before Next
ノーラに先導されながら調査隊は階段を降りていった。それは深く、長く、まるで自分達が二度と戻ることのできない深淵へと向かっているのではないかと疑うほどの圧迫感をその場の全員に与えた。
「階段が…終わったみたいです」
階段が途切れ、闇に覆われた空間に足を踏み入れる。そこは開けた場所であり、凄まじい広さをもっていた。もっている明かりだけでは到底その空間の端まで照らすことなどできはしない。今たっている場所はこの空間の外周であり、一段高いらしく、やや低くなった地面がその下に見えた。
「ここはいったい…」
その空間は上の修道院よりもさらに不可解であった。何のために、誰がこのような巨大な空間を作ったのか。
「とにかく、降りてみよう」
中心の低い地面に向かってゆるやかに坂を描いていた外周を降りる。うえからでは暗くてよく見えなかったが、よくよく見ると、その地面にはいくつもの箱のようなものが置かれているのがわかった。
「これは?」
調査団の一人がその箱に近づき、上に積もった埃を取り払う。そして、彼の表情は凍りついた。
「団長…これは、棺桶です…」
「何?」
そう、それはまさしく死者を納める棺だった。中身を確認すると、完全に白骨化した上で、さらに風化しかかっている遺体があった。ならば――この空間に無数に置かれているこれと同じ箱は――
「これらすべて…棺桶だというのか…」
死者の眠る地。地下の底にある墓所。すなわちカタコンベ。団員達は言葉を失った。ただ死者を弔うためだけに、この異様なまでに巨大な空間を作ったというのか?先人達は――どのような思いでこの地にこのグラストヘイムなどという超巨大建造物群を作ったのか。
「……!!?」
ふいに、クレイが顔をあげ、周囲を見渡す。その額には汗が滲んでいた。
「こ、これは――?」
「どうしたの?クレ――」
言いかけて、ノーラもはっと息をのんだ。分かってしまったのだ。ここに『何か』がいるということに。彼女は自分の足が震えているのを自覚した。それほどまでの存在がここにいる。だが――彼女の自制心はそれをなんとか押し止めた。
「こ、ここは危険です…早く上の修道院に戻りましょう…」
「え…あ、ああ…」
ノーラとクレイは、人よりもはるかに鋭い感覚を持っているがためにその気配――闇の気配とでもいうべきそれに気がつく事ができた。だが、調査団はそれに気がつけなかった。
しかし――それはある意味、幸せなことだったのかもしれない。
ゴフウゥァッッッ!!
何かがはじける音。ノーラとクレイの視界を青い色の炎が染めた。
「――え?」
そんな、誰かの呟き。何が起こったのか、理解する間もなく。調査団の一行は次の瞬間には一握りの黒い消し炭と化していた。彼等は自分が焼かれたことにすら気がつくことなく逝ったであろう。それは――いったいどのような超高温度だというのか。また、どこからその炎が放たれたというのか。
「な…」
絶句する二人。冷静に戻るのが一瞬早かったのはクレイの方だった。自分とノーラへ対魔法障壁を張り巡らせる。通常の炎、魔法で作られた炎でも、これである程度は防げるはずだった。
「これは、一体…っ!?」
分かっている。おそらくこれをやったのは二人が先ほど感じ取った気配だ。だが――どこに?
「クレイ、あそこ!」
「!」
ノーラが指差した方向に、無数の光の帯が集まっていた。それは巨大な魔法陣のようなものを空中に描き出し、さらにその魔法陣から光が――闇色の光としか形容しようのない何かが放出され、ある形を空間に作り出していく。
「これは――」
それは――人の形をした闇だった。絶対的な悪意と言ってもいいかもしれない。人というものと決して相容れない存在であるということを二人は直感で悟った。
それはドクロのような顔をし、奇怪な形の甲冑を纏い、ボロボロのマントをなびかせながら現れた。まさに悪魔というに相応しいようなその姿。普通の人間であるならば、その姿を見ただけで発狂しかねない。それほどまでのプレッシャーをその姿は放っていた。
「我ハ闇ノ王…」
男とも、女ともつかない声。あらゆる人間が同時に発声しているように、多重に、歌うように聞こえてくる同一の言葉。
「全テヲ滅ボスモノナリ…」
「くっ…」
先手必勝。ノーラが飛び出してその異形へと切りかかる。本能が金切り声をあげて叫んでいた。「これは人間の敵だ――」と。
「たああぁっ!」
裂帛の一撃。それは普通の魔物などであれば一刀両断されかねないほどの威力であった。もし、それを免れたとしても、大きな怪我を負うことになる。だが――
「無駄ダ」
たったの二本。そう――たったの二本の指に挟まれて彼女の斬撃は止められた。驚愕の表情と共に剣を引き戻そうとするノーラ。
「無駄ダトイッタ」
「!?」
戻せない。たった二本の指の力に、全力で引き戻そうとしているノーラの力が負けたのだ。これまで、敗北という経験はあった。だが――これはどうだ。超越しすぎた壁。絶対的な敗北。
「あ…うぁ…」
「古代の聖霊よ、盟約に従いて邪悪を撃ち滅ぼせ!<ソウル・ストライク>!!」
クレイの声高な高速詠唱と共に五つの光弾がその異形――自らを「闇の王」と呼称したそれへと向かう。
全弾的確に命中したはずであったが――
「無駄ダ」
三度、同じ声。確かに<ソウル・ストライク>は速射性と引き換えに威力はやや低いが、無機物にこそ無効なものの、有機体、意思を持つ思念体などへはその威力を遺憾なく発揮する。だが――目の前の化け物は、その全てを身に受けながら、なんら痛痒を感じていないようであった。
「そんな…っ」
「我ハ闇ノ王、全テヲ焼キ払イ、殺戮ヲ行ウ存在ナリ」
その声と共に、「闇の王」を中心としていくつもの炎の壁が現れた。そして――
「ああっ!?」
必死で剣を引き戻そうとしていたノーラが、突然消えた手ごたえに対応しきれずに、しりもちを突く。彼女の手には――半ばで折られた剣があった。
「我ハ闇、我ハ悪意、我ハ狂気」
「あ…あぁ…」
クレイは薄々感づいていた。この異形は――人間の本能にある「恐怖」を揺り動かす。ノーラは今まさに、その「恐怖」に、これまで天才児を演じるあまりに隠し通してきた恐怖を突きつけられていた。魔物が人間を襲う場合、自分の縄張りがあらされた、生きるためなど、その生物としての目的がある。だが――この異形は、純粋な殺意を持っていた。殺戮のための殺戮。それは――ある種、酷く人間に似たモノだったかもしれない。
人間の、醜い部分だけを集めたら、この存在は完成するかもしれない。そう――クレイは思った。そして、自分が最早逃げられないことも悟っていた。先ほどの魔法の際から、「闇の王」の殺意は、姉のノーラでなく、彼に向けられていることに気がついていた。
「う…あぁ…」
ノーラは、まだ自らの手に残された剣の残骸を見て、うめいている。
「ねえさん…っ」
クレイは――自分ももうじき「恐怖」に負けるということをどこか冷静な所でわかっていた。本能から湧き上がってくる感情を止めることはできない。
そして、彼に向かって「闇の王」の手が伸ばされ――
グラストヘイム第二次調査団記録
第一次調査にて修道院と思われていた建造物内へ侵入。調査の結果地下に巨大空間を発見する。そこで異形の存在と遭遇。調査団全メンバ及び護衛に当たっていたクレイ=レグナスは死亡。本記録は唯一生還したノーラ=レグナスの供述に基づいて作成されているが、彼女の供述も不明瞭な点が多く、正確な資料を作ることは難しい。唯一、極めて危険な「何か」が存在することだけは確認できた。よって、これ以上の調査団の派遣は禁止。グラストヘイム第三次調査団は派遣を永久凍結することに決定する。及び、グラストヘイム及びグラストヘイム近辺を第一種危険隔離地域に指定。民間の立ち入りを厳禁す――
Section5.邂逅 Top Before Next
「あれから五年――」
二十一才になったノーラは、かつて自らが恐怖に負け、無様な姿をさらした場所へ――グラストヘイムカタコンベと戻ってきていた。
「だが――今は、違う」
触れるだけで切れそうな鋭利な刃物のような美しさになったその顔を覆うのは険しい表情であった。あの事件の後、彼女は数日間心神喪失状態にあった。そして――その状態から回復した彼女を待っていたのは弟の死と、それを見捨てて自分が逃げたという最悪の事実だった。
その後、彼女は何かに憑かれたように修行をし――そして、十字騎士の名を得た。周囲には、高潔で優秀な騎士に見えていたのかもしれない。だがその実、弟の復讐のため、己が愚かさの精算のために特化されたその思考は、彼女以外には誰もわからなかった。
「我ハ闇ノ王…」
「来た…」
ノーラが呟き、剣を掲げる。
「我ハ殺戮…」
声と共に、五年前と全く同様に魔法陣が現れ、そこから「闇の王」の姿が展開された。ノーラは無言で剣を構えた。彼女は五年の間に強固な精神制御も身につけていた。もっとも――それは、感情をなくしてしまったというのとほぼ同義であったが――
「五年前の私の罪…ここで清算する」
その言葉と共に凄まじい速度での剣閃がひらめいた。あの時とは比べようもない速度。人間サイズの生物としては極限といってもいい速度だったろう。人外の化け物と相対するために自らも人たることを捨てた女性の一撃。
「オオォォ…」
いくつもの声が、呻き声を唱和する。その一撃は的確に「闇の王」の腕を切り落としていた。
(殺れる――)
ノーラの脳裏に、勝てる、という意識が生まれた。あの時の自分が弱かっただけなのだ。今の自分ならいける。こいつを、殺せる。
弟を奪ったこの化け物を、この手で切り裂くことができるのだ。一撃目の勢いを残したまま続けて二撃目。その攻撃は、残っていたもう一方の腕を切り落としていた。
「この程度か…」
「オオォォォ……ネエサアァァン…」
「!?」
「姉さん」。確かに今目の前の異形はそう言った。しかも――その声は、忘れようもない、彼女の弟クレイのものであった。その言葉に動揺してノーラの動きが鈍ったところに、「闇の王」から放たれた魔力が直撃する。
「ごふっ…」
すぐに自らに癒しの奇蹟を使い、その傷を癒す。十字騎士には一部の「奇蹟」の手ほどきもされる。癒しを続けながら、彼女は「闇の王」を見つめた。確かに――弟の声で――
「そう、僕だよ、姉さん」
「!」
ノーラが息をのむ。その声は、まぎれもなく「闇の王」から発せられたものであった。いったい――どういうことだというのか。
見れば一瞬前に切り落としたはずの両腕はすでに再生していた。かわりに切り落とされ地面に落ちた腕が幻のように揺らめいて消える。そして――その再生した腕で「闇の王」はドクロのような仮面を外してみせた。
「――!!!??」
人たることを捨てた彼女が、人間らしい感情の動きを示す。
そこにあったのは――彼女の弟、クレイの顔であった。五年前となんら変わらぬその顔、その唇が同じく五年前と同じ声で言葉を紡ぐ。
「ふふふ…よほど驚いたみたいだね、精神制御が乱れてるよ…」
指摘され、ノーラは努めて感情を面に出さないようにしようとした。だが――緩んだ精神制御に、緩やかに忍び込むように、「恐怖」という感情は染み渡ってきた。
「姉さんは恐怖に弱いんだよね、人一倍、それを感じたことがない人だったから、強い人だったから」
「クレイ…どうして、あなたが…!」
蒼白になりながらもかろうじて精神制御を取り戻したのか、肩で息をしつつもその手から剣を離そうとはしない。
「どうして、そんなところに」
「簡単なことさ…予測もつかなかったかな?」
クレイの顔がそう言うと、それが熱く熱した蝋細工のようにぐにゃりと変化した。そして、その後にクレイとは違う、他の顔がでてくる。
「オォォォ…」
「これは…」
ノーラがうめく。そこには、五年前の調査団達の顔があった。次々にその顔が変わっていく。調査団達の顔もあったが、さらにいくつもの知らない顔が次々に入れ替わっていく。ノーラは、一つだけ確信できたことがあった。これらは皆――死者の顔だ。
ならばこの化け物は――死者の魂を取り込んでいる?
「そのとおり」
再び、クレイの顔に戻る。その顔はあまりにも場違いな、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「だけどちょっと違うな。正確には――僕達全員が「闇の王」だよ」
「ソウ、全ガ個、個ガ全ナル存在。ソレガ我」
「だから…どうした…」
「?」
「だからなんだという!弟は最早死んだ!私の目的は貴様を滅殺すること!!」
想い出を振り払うように、ノーラが叫ぶ。だが、その激昂した声に反して、彼女の顔は能面のように無表情になっていった。この化け物は、人間の感情に攻撃をしかけ、「恐怖」というものを呼び起こし、それを無限にまで増大させる。
だが――
「フ…ハハハ…オモシロイ」
その声と共に青白い焔の柱がいくつも立ち上がる。だが、ノーラはそれら全てをすんでのところで回避していた。しかしそれは危うい回避なのではない。全て見切っているからこそ、ぎりぎりで最小限の動きで回避しているのだ。もっともその焔の超高熱は触れていなくとも、服や髪がこげつくが彼女はそれらを意に介した様子はまったくなく闇の王まで走った。
彼女は感情を殺していた。自らの心を押しつぶす精神制御。それは彼女が五年の間に会得した技術の一つであった。それゆえに「闇の王」は直接攻撃に出たのだ。
そして――走りながらノーラの唇が呪文のようなものを紡ぐ。
「聖なる十字、聖なる裁き、聖なる殺戮」
全ての焔をかいくぐり、「闇の王」の元までたどり着いた彼女は、その剣をその化け物へ振るのではなく、あろうことか地面に突き立てた。
そして――呟き。
「――浄滅せよ」
Section6.古の真実 Top Before Next
ドンッ!!
激しい音と共に、突き立てられた剣を中心として縦横四方向へと光が走った。そしてその光は「闇の王」に直撃していた。
「グ…オォオォ…」
呻き声。いくつもの人間の――死者達が二回目に死ぬ声。その光によって浄化というにはあまりにも生ぬるい……まさに、浄滅が行われていた。グランド・クロス。そう呼ばれる十字騎士の最終奥義であった。剣技と魔法の融合であり、その威力はあらゆるものを破壊する。だが、このあまりにも強大な技は、発動者本人の身をも蝕む。
その証拠に呻き声はもう一つあがった。
「がはっ…」
ノーラが、血を吐いて膝をつく。だが、彼女には確信があった。今の一撃であの存在は消滅したはずだ、と。取り込まれた弟の魂ごと。死者達の魂ごと。全てを滅したはずだ、と。
「――アマイ」
「!?」
唱和する声。彼女の眼前で、まるで今起こった崩壊を逆戻しにするように「闇の王」の体が再構成されていくのを彼女は愕然としながら見た。
「言ったでしょ?僕達は全にして個、個にして全だって」
再びその顔がクレイのものになり、あざ笑うような声をあげる。
「確かに滅したはず…っ」
「確かにね。だけど滅んでない。僕――我――僕達がどういう存在か、姉さんに教えてあげるよ」
その言葉と共に、ノーラの下腹部に鋭い痛みが走った。
「あ…ああぁぁぁ…」
殴られたのではない。ノーラの背中から生えたかのように「闇の王」の腕が伸びている。そう…貫かれたのだ。下腹部を貫かれたまま、彼女の体は持ち上げられた。
「ここの上の修道院――いや、このグラストヘイムという施設全体。それが僕という存在を生み出すためのものだったのさ」
クレイの顔が、別の顔が、次々に入れ替わりながらノーラに語りかける。それはあまりにも常軌を逸しており――彼女のように強固な精神をもっていなければすでに狂ってしまっていたであろう。
「千年前、人は魔ト、聖の戦いに巻き込マれ、窮地に瀕してイタ」
歌うように、次々と声が紡がれる。
「彼らは考えマシタ。魔と、聖への対抗手段を。人類が持ちえる最大の力を」
その言葉は――おぞましい真実を含んでいた。
「人の持つ最大の力――それは、憎悪、恐怖、欲望。そして――それら全てを束ね、一つの力とすることを考えた」
「まさか…」
「用意された生贄はおよそ二千名。彼等――我々はこのカタコンベに集められ、ソシテ――」
「殺された…」
ノーラが、うめく。誰のものだかわからない顔は、満足したように一つ頷いた。
「ソウ、まず生贄たちはこのカタコンベに押し込めらレタ。そして、上の修道院で儀式が始まると同時ニ、カタコンベには――火ガ放たれた」
「生への渇望、生贄とならずに生き延びた人たちヘノ憎シミ、そして死に行く恐怖――それらは全て儀式によって束ねられ、一つの存在ヘと昇華シマシタ」
それは――どれほどまでにおぞましいことであったか。この化け物が人間の手によって作られ――しかも、元々は人間だったというのだ。
「上の修道院の惨状はその儀式の影響ダヨ、私達が構成される際に大きく空間が歪んだことでアソコまでの崩壊ヲ起こした」
「この存在となった我々が最初に何をしたと思う?」
腹を腕で貫いたまま、ノーラの顔を自分――自分達の顔まで近づけて「闇の王」が囁く。
Section7.闇の王 Top Before Next
「殺戮ダ、グラストヘイム内ノ人間全テヲ、マズ殺シタ」
「…」
聖と魔への「悪意」として作られたその存在は――それよりもまず先に、自分達の大元である愚かな人間への「悪意」として作用したのだった。人という存在の負の感情を押し込み、象ることによって作られた異形の怪物。それがこの「闇の王」という存在だというのか。
「モットモ、グラストヘイムに居た人間達は最初から彼の『エサ』として用意されていた」
つまり、グラストヘイムにて魔物と闘い、未来を掴もうとしていた人たちは、この化け物を生み出すためだけに集められたというのか。異形の怪物のために作られた巨大建造物群グラストヘイム――哀れを通り越して、馬鹿馬鹿しさすらあった。
だが――この「闇の王」を異形というのなら――人間は、なんだ?この存在は、人間の持つ闇を極端に象徴しただけにすぎない。ならば――人と「闇の王」にどれだけの違いがある?
結局は、同じモノではないか…?
「我ハ何度滅ンダトシテモヨミガエル、ソウイウ存在ナノダ」
「ダガ――」
「我々はドウスレバいい!」
怒号が大気を奮わせる。
「我々ハ作られた目的も果たせぬママ、コノ地で一千年の時間ヲ過ごしてきた!」
「滅すべき魔も、聖モ、<魔壁>の彼方に封印サレ!」
「我等はこの地から抜けるコトガデキズ!」
「我々の、奴等の想いがこの地に縛り付ける故に!!」
「滅びることもできないのだ!!」
幾千、幾万もの人間の怨嗟、嘆き、哀しみ。それらが渦巻く。究極の力の集合体と化した彼等は――酷く、哀れな存在でもあった。だが――今ここに生きてそれを哀れむ人間はいない。
「…そう」
腹を貫かれたままのノーラが、酷く落ち着き払った声をあげる。次の瞬間、彼女を貫いていた腕は、切り裂かれていた。
「!」
「闇の王」の腕を自らの体内に残したまま、ノーラが地面に降りる。そして――無造作に自らを貫くその腕を引き抜いた。おびただしい血がその場に流れ落ちる。このままでは間違いなく、しばらくの後に出血多量で死ぬ。
「ならば、完全に滅びさるまで、何度でも滅ぼせばいい」
「は、はは、は…姉さんにはできないよ」
いくつもの、知らぬ顔を経てクレイの顔に戻る。それは姉であるノーラを明らかにあざ笑っていた。
「五年前、僕を見捨てて逃げたような人には」
「そして今、死に場所を探しにやってきたような人には――」
その言葉に、ノーラの表情がかすかに揺れる。
「私は、貴様を滅しに…」
「嘘だね」
断言。それは反論を許さぬ強い語調であった。声が――声たちが、嘲るように、嬲るように続ける。
「死ぬつもりでなかったのなら、何故首にロザリオがない?」
「――っ」
十字騎士が首からさげるロザリオには、象徴以外にももう一つの意味があった。それは――「必ず、生きて神の元へ戻る」――それを、外したということは――
「お前は、死ぬつもりだった」
「黙れ…」
「姉さんは五年前の贖罪という言い訳を自分にして、単に死ぬための場所を探していたんだ」
「違う、違う――」
「違いやシナイ。君はあの時に本当ノ自分に気がついてシマッタンダ。臆病で、弱い自分に。期待され、十字騎士にマデ祭り上げられる事に、臆病ナ君は耐えれなカッタ」
ノーラの表情に亀裂が入る。能面のような無表情から、酷く人間らしい表情がかすかに浮かび始める。それは――恐怖。
「我々は汝ヲ助けたりはしない。我々は汝等、人に対スル絶対悪」
「う…あぁ…あぁぁぁぁぁっっ!!」
喉の奥から振り絞られた叫び。声帯がつぶれかねないほどの大声をあげながら、ノーラは「闇の王」へとその剣を振り下ろしていた。
一度、二度、三度、四度…
何度も、何度も切り刻み、細切れにし、さらに細かく切り刻んでいく。その目に、理性の光はなかった。あるのは――恐怖と狂気。
「クク…クククク……」
どこまでも細切れにされながらも、「闇の王」のあざける声とその変化していく顔だけは変わらず彼女に向けられていた。
「滅びろ!滅びろ!!滅びろ!!!!」
もはやかすれているその声で、ノーラが叫ぶ。やがて――細切れにされた「闇の王」の各部がカタコンベの中に漂っていた。
「はぁ…はぁ……」
その中で、十字騎士であった女性が息を荒げていた。なおも斬る存在を探そうとしているのか、その恐怖に濁った目が周囲を見回している。
「一度――自分ノヨワサを知ってしまった天才ナドモロイモノダ――」
「あああぁぁぁぁっ!!」
何もない空間に、何度も斬りつける。そんな彼女に向かって、周囲の「闇の王」の残骸が集まってきてることに、彼女は気がつかなかった。
「姉さん――」
「っ!?」
気がつけば、彼女は周囲を闇で覆われていた。その闇が、じょじょに彼女の体に中にしみこんでくる。
「あ…あぁっ…あぁぁっ……」
狂おしいまでの恐怖が彼女を襲う。自分が喪失されていく感覚。死でもなく、生でもなく、無限に薄く引き延ばされていく自我。
「ネエサン――コレデ、僕達ハ永遠ニイッショダヨ――」
「あぁ…クレイ…」
そして、闇が彼女を完全に包み込んだ――最後の一瞬、彼女が奇妙な安心感を覚えたのは錯覚だったのか――そして――カタコンベに静寂が戻った。
グラストヘイムという地がある。強力な魔物が住み着き、今までに何人もの優秀な人間を飲み込んだまま返さない。その中のある建物の前には、一つのロザリオが落ちているという。それを見る者は言い様のない悲しみを覚えるのだという。
そして、こうも伝えられる。そのロザリオには、ある言葉が刻まれていると言う。
「私も、貴方の所へ行くよ――ノーラ・レグナス」