できることはなんですか?


Section1.とある島にて Top Before Next

 爽やかな日の光がその島には降り注いでいた。多くの草木に彩られたその島の、しかし西側はじょじょに荒れ果てた大地へとその姿を変えていく。その島から直接は見やれないが、西にもう少しいくとそこはルーンミドガツ大陸最大の砂漠地帯、ソグラトに出ることになる。
対して東のほうを見やるとそこにはうっそうとした濃い森がどこまでも広がっているのを見ることができる。こちらはフェイヨン周辺の密林へと繋がっている。枯れた地と豊かな地との境目。それがその島だった。
「はぁ……」
 その境目の島の隅に、座り込んで空を見上げている女性の姿があった。女性とは言ってもまだ幼い……成人に少し届かない程度の、少女と呼んでも差支えがない程度の年齢に見える。またその着ているものなどは、動きやすく機能性にすぐれた冒険者がよく着るもののようだが、彼女にはそれを着慣れているような印象はない。普通、その服を長く着ていればあれば服の汚れや何気ない着こなしなど、やはりそれ相応の「それらしさ」というものがある。だがこの少女にはそれがない。
 つまり――全く冒険者然としていないのだ。
この島は首都プロンテラからほど近いとはいえ、民間人が寄り付くことはあまりない。周辺にはそれほど凶暴ではないが魔物も出るし、この島には昔から幽霊が出るだの天使が降臨するだのといった怪しい噂がいくつもある。 「これからどうしよ」
 少女のぼやきが誰に聞かれるでもなく中空に吸い込まれる。少女の名はリリー=ケルン。同名の花のように可憐で美しい女性になるように親が願ってつけた名前だ。なるほど少女の容貌はまだやや幼さを残しながらも整っており、絶世の美女、というほどではないにせよ美人と称してもおそらくどこからも文句は出ないだろう顔立ちをしている。
「はぁぁぁぁ……」
 ――だが、その少女の口からはただひたすらに気だるげで、それを聞くだけで人を憂鬱にしそうな気配すらある溜息だけが漏れている。
「家からもってきたのこれだけだしなぁ」
 一人でぼやきながら、腰につけていたナイフケースから、小ぶりのナイフを取り出す。入ってたものはそれなりのケースだったのだが、引き抜かれたその刃は実のところ、せいぜい果物を切る程度にしか役にたたなそうなものであった。
「ナイフ一本でも冒険者になれるかな…」
 呟いて、ちらりと後ろのほうを見る。そこには数匹のポリンと呼ばれる魔物がぽよんぽよんと音をたてながら徘徊していた。基本的に害はなく、愛玩用としても広く知られているこの魔物であるが、やはり野生の生物だけあって、時には人を襲うし、増えすぎると危険なので冒険者達が駆除に当たることもある。
「……」
 少女は、自分の手元にある刃と、ただ無目的にうろついているポリンを何度か交互に見てから、さきほどまでよりもさらに深い溜息をついた。
「無理、だよね……そもそもわたし、体育だって全然いい成績とったことないのに……」
 ポリンは一般に弱い魔物とされるが、それも冒険者にとっての話だ。一般人にとって野生生物というものは非常に危険なものである。ましてや、下手にナイフを振ったら自分を切りかねないこの少女なら、なおさらだ。

――い!!

「はぁ…」

 ――ぶな――!!

「?」
 遠くで何か叫び声が聞こえたような気がして、少女は怪訝な顔をしながら立ち上がった。声は――男性のものだ。しかも、その声は近づいてくる。急速に。
「え――」
 振り返れば、そこには奇妙なポリン――のようなものが間近まで迫ってきていた。

 ――危ない!!


Section2.危険な天使 Top Before Next

「――!?」
 ここでようやく少女は理解した。先ほどからの叫び声は、自分に対する警告だったのだ。その奇妙なものの後ろからは、必死でそれを追いかけながらこっちに叫んでいる魔道士風の男性の姿があった。
「こ、これ…ポリン…?」
 われながら間抜けだとは思いつつ、少女は目の前のそれに対して問いかけた。確かに本体部分は一般によく見かけるポリンのそれと大差ない。だが、その両脇に浮かぶ一対の柔らかそうな純白の翼と、頭に浮かぶ光り輝く輪が、そのシルエットに大きな違和感を与えている。
「天使……」
 思い出す。この島には天使が降臨するという話を。だけど、まさか――ポリンの天使だったとは――
「危ない!!」
「きゃっ!?」
 少女は何かに突き飛ばされて横のほうへと転んでしまった。地面に倒れこみながら少女が見たものは、自分を押し倒す男性の姿と、自分がいたところに飛び掛ってきていた天使のようなポリンの姿であった。
「え…あ…っ!?な、何するんですか……!!」
 顔を赤くしながら少女が自分を押し倒したその男性の体を押しのけようとする。少女は、知らない男性とここまで密着した状態になったことはなかった。そのために気が動転してしまったのだろう。思わず拳骨でその男性を殴りつける。
「ぐぉっ!?」
「い、いきなりお、お、押し倒したりなんかするからです!」
「君が危なかったからだろっ!?」
 叫びながら、男が少女に背を向ける。その影からさきほどの天使のようなポリンがいた方向を見やると、自分がぼーっとしていた場所の地面が若干へこんでいるのが見える。
「え……」
 ポリンは、外見が愛らしいだけでなく、その外見相応程度の力しかない。だが――これは、どうだ?こんな体当たりが直撃したら気絶――下手すれば死にも至りかねない。そこではじめて少女はこの天使ポリンを脅威の存在として認識した。
「な、なんですか、これ…」
「さがって!」
 男性の声に、もたつきながらも少女は後ろに三歩さがった。男性は手にしている杖といい、着ているものといい、魔道士なのだろう。少女はその原理をよく知らないが、攻撃型魔法の威力は昔に見たことがある。あの圧倒的な破壊力ならばこの奇妙な魔物も倒せるはず――
「古代の聖霊よ、盟約に従いて邪悪を撃ち滅ぼせ!<ソウル・ストライク>!」
 素早い詠唱が終わると同時に光弾が5つ、空気を切り裂きながらその天使の似姿をしたポリンへと襲い掛かる。これならば――
「――え?」
「なっ!?」
 少女の、ほうけた声と、その男性の驚愕の声が重なる。光弾はそのポリンにぶつかる直前で、見えない何かに弾かれたかのようにかき消されたのだ。そしてさらに魔法を撃たれたことなど全く意に介していない様子で、天使ポリンが二人のほうへと向き直り、飛び掛ってくる。
「くっ…炎の壁よ、阻め!<ファイアー・ウォール>!!」
 なんとかその行く手をはばもうと、男性が自分の目の前に炎の壁を張る。そして前を見据えたまま少女へと叫んだ。
「逃げて!!」
「あ、ああああ……は、はい……」
 何も、できない。助けることも、武器をとってともに戦うことも、少女には何もできなかった。彼女にできたのはただ逃げるだけ。目の前の恐ろしい現実へと背を向けて逃げることだけであった。
「!!」
 天使ポリンが触れた先から炎の壁が消滅していく。まるで自分に害をなそうとする魔法を自動で完全に打ち消しているかのように、その天使ポリンは魔法の炎を無視して男性へと迫る。だが――それを少女はもう見ていない。彼女は、まっすぐ後ろのほうへと駆けていったのだから。
 そして、一つの悲鳴が響いた。


Section3.強き者  Top Before Next

「は…はぁ……はぁ……」
 辛い、苦しい、吐き気がする。逃げることしかできなかった。あの人の悲鳴が聞こえたにも関わらず、振り返ることもできずにただ逃げることしかできなかった。少女は双眸からぽろぽろと涙を流しながら地に伏せた。
「まただ……また、わたしは逃げることしか――」
 そこで少女はばっと起き上がり後ろを見た。危機的状況にさらされると、感覚が過敏化してちょっとした変化に対してでも反応しやすくなる。いわゆる怯えというのもこれにあたるが――少女の視線の先には――
「うそ……いや……」
 先ほどの天使ポリンがいた。愛らしい外見とは裏腹に、それがとんでもない力を秘めているのはさっきのことで明らかだ。どうひっくり返ったところで少女に勝ち目はない。ましてや逃げきることもできないだろう。少女にはもう走るだけの体力が残っていなかった。
「う…ああ…」
 天使ポリンが迫る。だが完全に迫りきる直前、少女が見ていなかった横の方向から突然、地面を走る氷の刃が天使ポリンをからめとろうと襲い掛かった。少女には知るよしもなかったがそれは<フロスト・ダイバー>という対象を凍結させてしまう魔法であった。だが――やはり先ほどと同じようにその氷の刃は当たることなく全て消滅してしまう。
が、それでも気をひく程度には役に立ったようだ。
 だが――誰が?先ほどの男性か?
「ぶ、無事だったんですか…」
 弱々しく呟きながら少女がそちらを見やる。だが、そこにいたのは先ほどの男性ではなく魔道士の正階位――ウィザードを示すローブを羽織い、銀髪の長い髪を後ろでポニーテールのようにまとめている青年であった。
 彼は<フロスト・ダイバー>がかきけされたことで多少眉根を寄せたが、それでも全く臆することなく少女と天使ポリンの間に割り込んだ。
「……」
「あ、危ないですよっ、そのポリン…魔法がきかないんです!!」
 少女の叫びに、青年がちらりとそちらを見る。その表情を見て、少女はとてつもない違和感を覚えた。
(笑ってる――?)
 魔道士にとって、魔法は命だ。身を守る手段であり、敵を攻撃する手段であり、生涯をかけるべき研究対象である。魔法を奪われるということは魔法使いにとっては死にも等しい。だが――この青年は全く動じた様子はないのだ。
「大丈夫、安心して」
 穏やかな声。その声が終わるよりもはやく、天使ポリンが新たに現れた敵に対して体当たりをしかける。少女はそれに押しつぶされる青年の姿を脳裏に描いた。だが――
「せやっ!」
 掛け声一閃。青年の蹴りが天使ポリンをしっかりととらえ、カウンターぎみに吹き飛ばしていた。生半可な威力の蹴りでは、ない。
「え、え…?」
 少女は困惑する。この人は――ウィザードではないのだろうか?
 もちろん、そのような事はお構いなく、天使ポリンは起き上がり青年へ向かって再び突進する。対する青年はその場から動くことはなく、ただローブの中へと手を入れた。そして、その手が引き抜かれたときそこには一振りの大型ナイフがあった。少女の持つそれとは全く違う、生物を殺すために研ぎ澄まされた刃が鈍く太陽の光を反射する。


Section4.戦う者  Top Before Next

「はっ」
 空気を焼け付かせることをたてながらナイフが天使ポリンへと襲い掛かる。突進体勢になっている天使ポリンは避けられるわけもなく、それを直にうけた。体皮が切り裂かれ、そこから体液が流れ出る。だが、天使ポリンの体が淡く発光したかと思うと、その傷は瞬く間に癒えてしまった。それは聖職者達が使う癒しの奇跡に似たものであった。
「む…」
 青年が眉をひそめてナイフを構えなおす。その姿からは寸分の隙も感じられず、熟練した戦士の挙動を思わせる。
「面白い、相手しよう」
 そう言うと青年はその長いローブを苦ともせずに一気に駆け抜け、天使ポリンへと迫った。そのまま勢いを殺すことなく手にしたナイフを振るう。だが、学習したのか天使ポリンも黙ってはおらず、横にそれて青年へと攻撃を加えようとする。
「甘い」
 まるでそこまで予期していたかのようにナイフを振るう勢いのまま青年が大きく前に動き、目測を外した攻撃が空ぶる。即座にふりかえり、油断なく天使ポリンを見据える。
 正直、何も知らない人間が見れば、間抜けこの上ない情景に見えるかもしれない。愛らしい姿をしたポリンと、それと対峙する真剣な面持ちで短剣を構える青年。だが――少女は知っている。このポリンは見かけどおりの存在ではないということを。
 そして――青年と天使ポリンが同時に動いた。小柄で、奇妙なその体躯を存分にいかした天使ポリンの奇天烈な攻撃を青年がいなし、切りつける。だがさしたるダメージにはならず、天使ポリンが再び反撃を行う。その一連の動きはまるである種の剣舞のようでもあった。
 少女はその光景をじっと見ていた。ウィザードの身でありながら魔法を使わずに体術だけであそこまでの闘いができる青年の姿をその双眸に映しながら、少女は我知らず両手を強く握っていた。
(どうして……)
 少女が心の中で呟く。不公平だ。彼は魔法も、剣も、何でもできるというのか。助けてくれるのはとてもありがたい。だけれど――言いようのない苛立ちが少女を包んだ。
(……)
 その少女の前で、闘いは終りを迎えようとしていた。天使ポリンの攻撃は威力はあるがほとんど青年に命中していない。対して青年は確実に攻撃を命中させ、じょじょに押し始めていた。そして、やがて――青年のナイフが天使ポリンを縦一文字に切り裂いた。
 本体が形を失い、頭上の輪がまず消え、それから羽が舞い散り、空気へとその姿が溶けていく。そして、その後にはチリすらも残らずにその闘いは幕を下ろした。果たして――あれは本当に天使だったのだろうか?だが、少女にとって重要なのは生き残ったこと、青年に重要なのは敵を倒したということ、ただそれだけだ。敵がなんだったのか、そんなことは実質的にはどうでもいい。
(助かったんだ…私…)
「大丈夫か?」
 一通り天使ポリンの消えた空間を注視してから、何もおこらないのを確認してから青年が少女へと声をかける。
「あ、はい…」


Section5.絶望の声 Top Before Next

「……凄いですね」
「ん?」
 あの後、少女と青年は並んで空を眺めていた。先に少女のことを助けようと割り込んできていた男性は、怪我を負ってはいたものの、すでに全国展開で救急などのサービスを展開しているカプラサービスの巡回救護班に回収されたらしい。
「あんな…ウィザードなのに、剣もすごく強くって…」
 自分の膝をかかえこむように座った少女が、顔をその膝にうずくめながら呟く。その声にはどこか、羨望以外に、嫉妬の念が感じられた。それを敏感に感じとったのか、青年が軽く眉をひそめる。
 少女は顔をあげ、今にも泣き出しそうな顔で、自分の腰につけたナイフケースと、似合っていない冒険者の服を青年に見せるように立ち上がってから言った。
「私…本当は、パン屋の娘なんです。でも――私、お父さんみたいに上手く焼けなくて――いつもお父さんの味が出せなくて――このままじゃお仕事継ぐことできないし、でもどうしようもないから――!」
 少女は――逃げたのだ。自分の焼いたパンを、店先にいくら並べてもお客さんは父親のものしか買ってくれない。父のにどれだけ似せようとも味が劣ると言われる。
 子供のころから、何度も何度も練習してきたのに、お父さんの味を出そうと練習してきたのに、それでも絶対的に届かない。絶対的に何かが足りない。「パン屋の娘」として生を受けた彼女にとって、それは十分に絶望たりえる理由であった。
「……」
 青年は、黙って少女のことを眺めていた。確かに、そういう人間は多い。普通の生活の中で自分自身に見切りをつけてしまい、無限の可能性が広がっているかのように見える冒険者へと転がり込むような者は。だが――ほぼ確実にそういった人間は冒険者としても大成しない。冒険者というものがそれほど甘いものではないうえ、自分の能力に――あっさりと見切りをつけてしまうからだ――
「だから、家出したのか」
 青年が責めるわけでもなく、ただ静かに呟く。その言葉に少女はびくりと体を震わせてただただ無言で応じた。だがそれは肯定を意味するといってもおかしくないだろう、事実青年は納得したように一つ頷いている。
――少女から見て、この青年は完璧であった。端整で、かつ精悍な面持ちは多くの女性を魅了するだろう。さらにはウィザードという最上位の魔道士である証と、そこらの騎士顔負けの体術。この青年は全てをもっているように見えた。
 だから――少女には、それが悔しくて。ねたましくて。自分がどんなに努力しても得られないものを、この人はいくつも持っているから。世の中は決して公平なんかじゃない。あまりにも不公平で、残酷なものだ。この青年の存在は少女にその事実を容赦なく突きつけていた。
「……」
「……」
 しばらくお互いに沈黙と視線だけを交わした後、青年が静かに立ち上がり、近くを無作為にはねていたポリンへ向けてその手を向けた。
「何を…?」
「集え雷光、いざ我が敵の上に降り注ぎ滅殺せよ――」
「!?」
 青年が口走っているのは魔法の呪文だ。さしたる知識もない少女にだってそれくらいのことはわかる。力ある言葉――言葉と魔力によって世界の理を操る術。そして、呪文の内容から察するにそれは雷の魔法なのだろう。体組織の実に99%が水分で構成されているポリンなど――ひとたまりもないはずだ――


Section6.その先 Top Before Next

 青年の呪文詠唱が終わると同時に、ポリンへと雷光が走る。次に来るであろうポリンの破裂四散を予期して、少女はさっと目を伏せ、雷の音が止んでから恐る恐るポリンのいたはずの方向を見た。
 そこには――すでにポリンの姿はなく――
「――え?」
 ポリンは、青年に体当たりをしていた。怒ったような鳴き声をあげながら、ぽよんぽよんと、さして威力もない体当たりを繰り返している。だが、確かに怒ってはいるようではあったがその体にはさしたるダメージがあったようには見えない。
「え、魔法を受けたのに…?」
 軽くそのポリンを手であしらいながら、青年は苦笑して、少女へと手を伸ばした。
「集え雷光、いざ我が敵の上に降り注ぎ滅殺せよ――」
「!?」
「<ライトニング・ボルト>」
 少女が次に来るはずの衝撃に身構える。もっとも、そんなことをしようと超高電圧の雷撃が体を貫けば死が待っているだろう。それをのがれたとしても半身不随、神経障害など著しい後遺症が残る可能性が高い。
(なんで――?私、ここで死ぬの――?なんで――?)
 答えの出ない問いを一瞬で投げかけながら、少女にその瞬間は訪れた。
「…ふえ?」
 思わず間の抜けた声を出す。彼女の元に届いた雷光は――静電気程度に、一瞬ぴりっときただけで霧散してしまったのだ。これでは死に至るもなにもない。人を気絶させることだってできないし、傷一つつけられるかすら怪しい。
「あ、あの、これは…?」
 疑問いっぱいという面持ちで少女が青年を見る。青年は遠き日を懐かしむように、遠方を眺めながら呟いた。
「僕は、生まれつき魔力がほとんどない」
「!?」
 少女にはこの青年が言っている言葉の意味がよくわからなかった。魔力がない?ならばこの青年のウィザードという階位はなんだというのか。青年は、少女を見て、ポリンをあしらい、向こうへと追いやりながらさらに言葉を続けた。先ほどのポリンも静電気のようにぴりっときただけだったのだろう。だからこそ青年へと何回か攻撃するだけで気が済んで去っていったのかもしれない。まあ、あのようなゼリー状の体にどれだけの知能があるかなどさっぱりわからないのだが。
「僕の生まれた家は代々、優秀なウィザードを輩出していた家だった。無論僕もそれを期待され、それに応えようと僕も勉強を重ねた。だが――」
 はじめての魔法を実際に行使した時、それがわかったのだという。彼が起動した魔法は――ただの新米魔法使いよりもよほど低い効果しか発揮しなかったのだ。
「こればっかりはどうにもならない。生まれつきの性質だからな。僕は、自分の身を呪った。どうして僕には魔力がないのか、どうして僕は魔力もないのにこんな家に生まれたのか」
「……」
 少女が驚きに目を見開いて青年を見やる。この青年は――自分と同じだったのだ。求められたものを決して持つことができず、ただ苦悩する日々――もちろんウィザードとパン屋ではその苦悩は全く違うかもしれないが、それでも少女はこの青年に強い親近感を持ち始めていた。
「だけど――僕は諦めなかった。魔力がないなら魔力があまりなくても存分な効果を得ることができる魔法だけを習得すればいい、そしてその他は徹底的に体を鍛えて補えばいい。何も――完全に魔法しか使わなきゃいけないわけじゃないんだ」
 先ほども使っていたの大型ナイフをマントの下から取り出して少女へと見せる。他にも数本のナイフが服につけたナイフケースへ収納されているようでもあった。普通、魔法を習得するのには一生涯をかけた修練が必要だという。通常の魔道士はそれだけに全ての時間を費やすために体力的にはあまり優れないのだが、肉体も徹底的に鍛え上げたこの男性はどれほどの努力をしたというのだろう。
「僕は今の僕に誇りをもっている。他のウィザードではできない事ができる。他人と同じことを無理にしようとする必要はないんだ、自分が成せることを全力で成せばいい」
 少女が誇るわけでもなく、たんたんと呟くその青年を見る。ああ、この人はなんて強いのだろう。肉体的なものではない――精神的なものだ。自分と同じような境遇にあって――いや、それより遥かに過酷な境遇でなお、前へ前へと突き進むその姿勢に比べて、自分はなんという矮小なことか。
 無論、誰もがそう強くあれるわけではない。誰もがそう違う道を見つけられるわけではない。けれど、それでも――
「私も…強く、なれるかな」
「……その意思ある限り」
 青年が、静かに少女へ呟く。それに対して少女も軽く頷き、今までとは違ったどこかふっきれた表情を見せる。それは少女本来の笑顔であった。
「ありがとうございます!私……プロンテラに戻りますね」
 それだけを最後に。少女はプロンテラの方角へと向けて走り出す。青年はそれを一瞬だけ見やってから別の方向へと歩き出す。これは、世界から見ればささやかな出来事。どんな記録にも残らずに、流れていくとてもちっぽけなたった二人の話。けれど、一人の少女にとってはとても重要な話。

そして――


Section7.そして―― Top Before Next

「ありがとうございましたぁ!」
 一人の女性の元気な声がプロンテラの街の一角に響く。その声は屋根についた煙突から、煙を出し続けている建物から発せられていた。そして、その建物の周りには、何人もの人が集まっていて、皆同じ袋をもっている。その袋からよい香りがただよっていた。
 中からは、程よく焼けたパンがその先をのぞかせている。
そして――ローブを羽織った銀髪の青年が、その建物を見て、微笑をこぼしてからその建物へと向かっていく。店のドアが客が来たことを示す乾いたベルの音を立て――かつて少女であった女性がその客を迎えようと振り返る。
「いらっしゃいませー!あ――」


 ――あなただけが、できること――見つかりましたか――?

Outline

貴方には、貴方だけにできることはありますか?
-From Ragnarok Online-

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