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このカテゴリの考察記事の一覧
  • 2007年02月18日 02:18 エトワールから澪音に至る道
  • 2007年02月16日 01:46 零の地平線
  • 2007年02月13日 15:32 屋根裏と檻の中にて
  • ABYSS〜奈落幻想物語組曲〜

    対象楽曲:「Ark」「Baroque」「Yield」「Stardust」「Sacrifice」

    ElysionのCDのブックレットを見れば一目瞭然なのですが、「Elysion〜楽園幻想物語組曲〜」には「ABYSS〜奈落幻想物語組曲〜」という裏タイトルとでも言うべき副題がつけられています。
    これは、上記5曲の頭文字を繋げた単語であり、エルの楽園などでもその事が示唆されています。
    (「挟み込まれた四つの楽園に惑わされずに垂直に堕ちればそこは……ABYSS」という部分)

    この5曲は、全て舞台設定、登場人物も異なります。Arkは、脳外科手術などが行われている模様であり、きわめて高度な科学力の存在を感じさせます。そしてそれとは逆にSacrificeではあたかも中世の魔女狩りの時代かのような、趣が見受けられます。

    それぞれの登場人物の少女達の間にはなんら繋がりがありません。しかし、彼女らが誰かを殺害しているという点だけは全てにおいて共通しています。そして、その殺害の前後に彼女らは仮面の男を見ます。

    この仮面の男とは、「エルの楽園」で死去した"アビス"です。そして彼は、少女達を"楽園パレード"へ連れ去ります。彼女らが仮面の男によって選定された理由はなんでしょうか。
    「笛吹き男とパレード」には「心に深い傷を負った者にとって」「心に深い闇を飼った者にとって」という下りがあります。

    5曲のほとんどは、狂愛の果てにその愛の対象を殺してしまうという狂気が見受けられます(Sacrificeのみ例外)。基本的には、そのような狂気と絶望を持った者達の前に、仮面の男が現れて、連れ去っていくのでしょう。

    ですが。仮面の男が本当に探しているのは彼女達ではない、と考えられます。
    この5曲は、すべて最初に「彼女こそ、私のエリスなのだろうか…」という語りがあります。これを見るに、仮面の男が真実探しているのは、すでに失われた彼自身の娘なのです。
    失われた娘の魂、あるいはその転生した姿を求め続け、時間も空間も超えて様々なところに出没する幽鬼と化してしまっている悲しい存在こそが、仮面の男アビスの本質なのだと見受けられます。

    また、Elysionは第4の地平線ではありますが、この5曲に関しては、地平線からは独立した楽曲であると私は考えています。地平線から外れた別次元に存在した5人の少女を、仮面の男が「楽園」という地平線の中に引きずり込んだ、と解釈しています。

    それゆえに、私はRomanなどの他アルバムの考察を行う場合についても、エルの楽園、天秤などは他楽曲ともリンクさせて考えていますが、この5曲はリンク対象外の独立楽曲として、今後も考察を行っていきます。

    エトワールから澪音に至る道

    対象楽曲:「澪音の世界」「星屑の革紐」

    「星屑の革紐」にはエトワールと呼ばれる少女がでてきます。この少女は生まれつき目が悪く、じきに目が見えなくなってしまう事を宣告されています。そして、盲導犬としてPleut(プルー)が彼女の元に連れてこられます。

    まず結論から言ってしまえば、私はエトワールは澪音だと思っています。
    確かに名前も違いますし、性格付けも違うように見えます。しかし、ちゃんと理由はあります。
    以下には、私なりに「星屑の革紐」の物語を時系列別に並べてみます。
    また、この物語も、後の物語が「澪音の世界」だとするならば、【祝い】が【呪い】になったという皮肉が感じられます。

    ■1. エトワールの誕生から母親の死 
    まず、母親が、「星」の名を意味するエトワールを生んでいます。この時点では、
    彼女は目が生まれつき悪い事などはわからずに、純粋に【祝い】だったと考えられます。
    その後、母親は死去します(二人と一匹 という記述から)
    ここで、母親はプルー(Pluet)として転生していたのだと思います。(理由は後述)それゆえに、エトワールにとってプルーは"どこか懐かしい"温もりだったのではないでしょうか。
    プルーはエトワールにとって「妹」であると同時に「母親」なのだと考えます。

    ■2. プルーとの出会い
    エトワールの家に盲導犬としてプルーが連れてこられます。
    この時点で、エトワールは自分の視力がたどる運命を知っており、自分の名を、そして目を嫌っています。そして、好きになれない自分を責め、父に、母に謝罪をしています。
    つまり本来【祝い】であったはずのエトワールという名は、彼女にとって【呪い】と化しています。

    プルーを連れて外を歩く練習をはじめますが、もちろん最初はうまくいくはずもありません。彼女は転んだりして、孤独を感じています。
    それでも彼女はプルーと共に過ごし、じょじょにお互いのことをわかりあっていきます。"空白の時間"というのは、プルーがエトワールの家にくるまでの期間、でもありますが同時に「共に過ごすことのできなかった親子としての空白の時間」ではないでしょうか。

    ■3.そして死別
    "急に吹いた突風に"二人は引き裂かれます。この時、曲を聴くと何かが衝突したような音の後、犬が吠えて、その後悲しそうな鳴き声が入ります。
    これを見ると、「エトワールが何か(馬車、車などの類)に轢かれたのではないか」と考えられます。プルーが轢かれたのであれば、その後あんなにも激しく吠える事はできないでしょう。
    この時、エトワールは自分の無力を謝りながら、それでもプルーに好きだと言い、死んでいきます。

    この時、プルーは自分の存在が何であるのかを夢で見ます。それは、エトワールが生まれてくる瞬間。死したエトワールを再び"生み出す"という幻想。ここが、プルーがエトワールの母の生まれ変わりであると判断した理由です。母の魂であったからこそ夢の中で「あなたが産まれてきた朝の追憶」を見る事ができたのだと考えます。

    ■4.魂の邂逅と再度の誕生
    「忘れないよ...」の部分は、歌が2重になります。ここは、エトワールとプルーの魂が出会い、融合したような印象を受けます。しかし、この時、"暗闇に煌く世界を"の裏では、"苦しに揺らめく世界を"と言っているように聞こえます。
    エトワールは自らの目も、名も疎み、苦しみの世界に生きました。ならば、彼女にとって死とは安らかなる解放だったのではないでしょうか。

    (「母と歩いた」とも裏で言っている事から、魂の融合によりエトワールもプルー=母である事を悟っているのではないかと考えられます)

    プルーは「何の為にやってきたのか...最後に判って良かった――」として、死に向かいます。
    彼女が死の際に行ったのは出産です。ではここで産まれてくるのは何でしょう。彼女が母親として産みなおすもの、それはエトワール以外にはないでしょう。

    つまり、プルーの腹から産まれた「黒銀の毛並みを持つ仔犬」は、エトワールの転生した姿なのではないでしょうか。エトワールからしてみれば、ようやく安息できる死を得たのに、再び産まれ、生きるという残酷な苦痛を与えられたわけです。これは、エトワールがまるで死神のような印象を持つ「澪音」へと変わり行くに足る理由ではないでしょうか。

    つまり、私は前述でエトワール=澪音としてることから、「エトワール=澪音=黒銀の毛並みを持つ仔犬」だと考えています。
    澪音の"本体"は「黒銀の毛並みを持つ仔犬」であり、そこに宿った魂としてのエトワールこそが、「澪音」という少女として実体化しているのだと思います。
    ちなみに、この仔犬は「悼みの雨が降り注ぐ朝」に産まれています。そのことから、自らの名を嫌っていたエトワールは「雨」(Rain)と名乗ったのではないでしょうか。

    幸せになってほしかったはずで付けた名前、幸せになってほしくて再度産み出した母親。それは両方とも純粋な【祝い】であったはずです。しかし、それは皮肉にも【呪い】としてエトワールに降り注ぎ、彼女を「澪音」という存在にしてしまったのではないでしょうか…?

    「星屑の革紐」の最後には「《物語》の翼は地平線を軽々と飛び越えるだろう」という記述があります。これは、四番目の地平線である「Elysion」を飛び越えて、PicoMagicReloadedの「澪音の世界」へ到達するのか、あるいは五番目の地平線である「Roman」を飛び越えて、次なる地平線に到達するのか。

    どちらともとれますが、「澪音の世界」がいずれの地平にも属しておらず、"新しい地平線に描かれる物語"であると「...Reloaded」で語られている事から、いずれ澪音についてもっと詳しく語られる地平線が生まれるのではないでしょうか。期待してみたいと思います。

    零の地平線

    対象楽曲:「...Reloaded」「屋根裏の少女」

    「屋根裏の少女」はこれまでのアルバムの楽曲で、今のところ唯一「零の地平線」の曲である、「...Reloaded」の中で称されています。
    Pico Magic Reloadedといういずれの地平にも属さないアルバムにのみ収録されているこの楽曲は、先の記事である「屋根裏と檻の中にて」のとおり、ミシェル・マールブランシェの最初の物語です。

    ミシェルの物語は、「...Reloaded」によると「黒の歴史が紡がれるより以前」の物語です。
    黒の歴史が紡がれる以前という事は、ノアやクロニカが生まれるよりも前であり、まだ「黒の予言書」が作られていないという事です。

    「屋根裏の少女」の話は「1887年とごく近代であるにもかかわらず、です。その後の「地平線」で語られる話は、Arkのような一部の例外を除くと、ほぼ全てが中世ヨーロッパあたりをモチーフとした物語となっています。

    だとすると。「Chronicle」から「Roman」までの全ての地平線は、ミシェル・マールブランシェが描いた幻想が具現化した物語ではないのでしょうか。ただし、ミシェルは幼いです。これらの地平線の全ての物語を彼女が一人で考えたとは考えにくいでしょう。ましてや、彼女は幼少から監禁されており、知識も非常に限定的で、乏しいはずです。

    だとすれば。彼女は最初は純粋に「お友達」がほしかっただけかもしれません。お友達として"作った"のが「クロニカ」や「ノア」であったら?そして幼い少女の制御を超え、生み出された存在が自らの意思で行動をはじめたら?
    ミシェルの意思を超えたところで、彼女によって生み出された存在たちによって「地平線」が生み出されていったのかもしれません。

    屋根裏と檻の中にて

    対象楽曲:「屋根裏の少女」「檻の中の遊戯」「檻の中の花」「yaneuraroman」

    屋根裏の少女から続くMichele Malebranche三部作。+Roman第2のボーナストラックであるyaneuraroman。この記事ではそこについて語ります。

    この物語は、「檻の中の花」で語られているように、3つのステージに分けられます。まずは、全ての事件が現実の中で連続しているという仮定のもとに各ステージごとに考察します。



    ■初舞台「パパの幸せを描いてあげる…」 1887年11月21日
    この部分は「屋根裏の少女」にて語られています(曲自体には歌無し。詩のみ存在)
    実父Joseph(ジョゼフ)に「飼われて」いた少女ミシェル。この時代に、彼女は何か尋常ならざる能力を得たようです。
    それはおそらく「キャンパスに描いたものを現実化する能力

    「私…お友達が欲しいな…」

    彼女は、キャンパスに対して望む「お友達」を描き、それを現実化してしまったのではないでしょうか。それは、あるいは狂気を孕んだ異形だったのかもしれません。それ故に、狂人に堕ちた父親でさえ、娘の異常さに気がつき、娘を殺そうとした。 
    …あるいは、父親は狂人などではなく、最初からミシェルに潜む異能に気がついていたのか。

    ミシェルはこの時、父親を殺害します。しかしその殺害方法は年齢相応の少女には到底不可能なほどに凄惨で不可解な変死だったようです。また、証拠もありません。
    「そうだ…パパの幸せを描いてあげる」
    この時、ミシェルは何かをキャンパスに描き、具現化したその存在によって父親を殺害したと考えられます。そして父親の血によって「赤いキャンパス」になったのではないでしょうか。



    ■2度目の舞台「もう一度この手で彼女を…」 1895年7月30日
    この部分は「檻の中の遊戯」にて語られています。
    この時、ミシェルは加害者側ではなく被害者側として犯罪史に登場しているようです。

    おそらく父を失い、身寄りを失ったミシェルを叔父であるArmand Ollivier(アルマード・オリヴィエ)が引き取ったのでしょう。しかし、叔父が求めたのはミシェルの若い肉体であったと見受けられます。檻の中の遊戯の冒頭を素直に読むのであれば、叔父はミシェルを抱きながら、首を絞め絞殺しています。

    あるいはそれが彼なりの狂った愛情だったのかもしれません。若いミシェルを若いままに保ち、自らのそばに置く方法。しかし、そこに異常が発生します。おそらく…その後の叔父の行動を見るに、ミシェルは蘇生したのです。"識られざる幕間"の「素早く抱き寄せ 首筋に熱い接吻」という部分からも見るに、彼女は吸血鬼に近い特性を得ているものと考えられます。

    そこで叔父も危機を覚えたのでしょう。ミシェルの力が異常であることに。故に彼はミシェルを完全に殺そうとした。それが「もう一度この手で彼女を…」という部分だと考えられます。そして、彼はミシェルを殺害し、その遺体を用意した棺桶の中に入れて葬ろうとします。

    しかし、ここですでに叔父はミシェルの異能に踊らされていただけに過ぎなかったのだと思います。ミシェルは先に得ている何らかの力によって叔父に夢や幻影を見せていたのかもしれません

    いずれにせよ、叔父は逮捕された時点で「半狂乱で笑いながら庭に穴を掘っていたところを…」という状態であったため、酷い錯乱状態にあった事は確かなようです。
    ミシェルの作り出した「檻」の中で夢を見ているという事を忘れ、狂っていった叔父。それが「檻の中の遊戯」における「忘レモノ」だと思われます。

    そして、「絞殺・死体遺棄未遂事件」については、警察がミシェルを見つけた時点ではミシェルは確かに死んでいたのかもしれません。しかしその後"幸運にも"息を吹き返した生存者となったのではないでしょうか。無論、彼女の場合は"幸運"ではなく"必然"なのでしょうが。



    ■三度目の舞台「少年の液体は仄甘く」 1903年 2月4日
    ミシェルが死亡した時。この部分の話は不完全ながら「yaneuraroman」にも出てきます。
    おそらく二度目の舞台の時に完全な被害者であったミシェルは特に警察にマークされることもなく、その後の8年間を過ごしたことでしょう。
    それゆえに13人という多人数の少年を連れ込み、そして殺害するようなことができた。
    おそらく彼女はこの13人の少年を生贄として使って、何かしらの黒魔術でも実行したのでしょう。
    「少年の液体」というのは少年たちの血、または精液などの体液の事であると考えられます。

    そして……彼女は、古い「ミシェル」という肉体を脱ぎ捨てて、転生した。yaneuraromanでは「さぁ、生まれておいでなさいHiver…」という下りがあります。これは、正にミシェルが何らかの黒魔術的な儀式を行い、イヴェール(Hiver)という存在への転化を果たした瞬間なのではないでしょうか。

    Hiverという単語が持つ意味は「冬」です。2月4日という冬に転生した者にとっては、その名前はふさわしいものではないでしょうか。しかし彼女の転生は不完全で、正常な転生を行う事はできなかった。

    それゆえに死でも生でもない狭間に囚われてしまい、抜け出せなくなったのではないでしょうか。そしてその「右手に神を、左手に悪魔を宿した…」という異能は、「双子の人形」へと転化し、その能力で自らが完全に転生し、生まれてくるための物語を紡ごうとあがいている。
    それこそが「Roman」なのだと考えます。

    ※Hiverは「右手に死を、左手に生を」でミシェルと能力が逆転しています。これは、彼女が転生の際に性転換を行ったために能力自体も逆転したのではないかと考えます。

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