- 2007年03月25日 02:05 楽園パレードとハーメルン
対象楽曲:エルの絵本【笛吹き男とパレード】
この楽曲は、「ハーメルンの笛吹き男」をモチーフにしていると考えられます。
ハーメルンの笛吹き男とは、ドイツのハーメルンという街において、笛を吹く男がその音で130人の子供達を街から連れ去ってしまい、二度と帰ってこなかったという伝承です。
笛の音によって心に闇を持つ哀れな少女達をパレードに引き込んでいくアビスの姿は、まさにハーメルンの笛吹き男の姿と重なります。(無差別な分ハーメルンのほうが性質悪いのかもしれませんが)
なお、近年のハーメルンの笛吹き男においては、最後に子供が助かったりする追記がされているものもあるようですが、もともとの民話としては、子供達が二度と帰ってこなかった記述が正しいものです。また、よく「最初に鼠を笛で操って駆除した」というような話がありますが、こちらも一番最初のころの笛吹き男の話にはなかった内容のようです。
ハーメルンにて連れ去れた子供達がどこに連れていかれたのかは分かりません。(洞窟の中に連れていかれたとされますが、その洞窟の奥には何があるのでしょうか?)
しかし、この楽園パレードは行き着く先、というか彼らがどのような状態であるのかのヒントがあります。それは仮面の男の台詞など、歌詞の内容から推測することができます。
「黄昏の葬列」「仮初めの終焉」…仮面の男は楽園パレードという前にこのような形容をしています。つまり、楽園パレードは完全な終わりではありません。あくまでも仮初めの終わりなのです。しかし、同時に葬列でもあります。
そして、Romanの楽曲などでも朝=生 夜=死と象徴されているように、「黄昏」は生にも死にも属さない狭間の時間です。このパレードは、仮面の男に代表されるように死したものの、現世への未練を断ち切ることができない哀れな魂達の永劫に終わることのない葬列なのです。
彼らはあの世にたどり着くこともありません。生き返ることもできません。ただただ、生と死の狭間を永劫にさまよい続けるのです。日本でいうところの「百鬼夜行」に近いような存在なのだと考えられます。
彼らは沈む夕陽に背を向けています。つまり、沈み行く生=死から逃げているのです。そして、「やがてそのパレードは 夕陽を裏切って地平線を灼き尽くす」とされています。
これはどういうことでしょうか。夕陽を裏切るというのは、死という定めを裏切る(逃げる)という事なのでしょう。そして、このアルバムにおける地平線とは「楽園」つまりエリュシオン、またの名をアビスの事を示しています。
やがて彼らの強い想い、妄執は楽園を崩壊させ、地獄に変えてしまう。そういう事なのではないでしょうか。以前の記事にて、「珊瑚の城」が崩壊した「神々が愛した楽園」であると推測しましたが、ひょっとしたら仮面の男達がパレードを行っていたのはかつての神々が愛した楽園だったのかもしれませんね。
死ぬことも、生きることもできずに永劫にさまよいつづけるというのは、悲しいものですね。
最後に。この曲の最後をよく聞くと「ジャリ・・・ジャリ・・・」と人が歩くような音が聞こえます。その足取りは重く、とてもではありませんがパレードを行っている足音には聞こえません。この足音こそが、何よりも明確に楽園パレードの真実の姿、百鬼夜行に近しい哀れな魂達の葬列を示しているのではないでしょうか。